うちの大学設備悪すぎ

このブログは地方国立大学についてあらゆる視点から書きます。私自身は地方国立大学の学生であるため、かなり詳しいのですが、ぶっちゃけた話もできればと思います。

うちの大学設備悪すぎ

道徳なんて必要ない

どうも、ゆーたろーです。

世間とは、どのようなものでしょうか。私のイメージだと、ある常識があって、誰にも言われずとも、それを守るよう強要するような雰囲気だと思います。

そこには、道徳心とか共生みたいな、結構人が人間に対して美を感じるところがあると思います。しかし、私はその道徳は必要ないと思っています。

その理由をいくつか説明していこうと思います。

 

道徳心があると自分の本心を歪ませる

私の友達にそういう人がいます。彼は、道徳を大切にしており、やたらそのルールにこだわりを持ちます。さらに正確に言えば、自分が美しいと思うものを勝手に道徳として、それを絶対に破ろうとしないんです。しかも、それを友達に強要するのです。私は、この記事を書くくらい、道徳心にはあまり関心はありませんから、結構キツいです。でも本人は、自分の作った道徳を破るとみんなが辛い思いをするんだ、と言うのです。これだけでも、結構矛盾が多いことが分かると思います。さらに気の毒だと思うのが、自分が作ったルールにすごく悩むことです。本当にこれでいいのか、とか、ずっと悩んでいて、そのせいで自分のやるべき課題が終わらないという状況にいつも陥っています。

これだけでも、道徳というのは無駄なことが分かると思いますが、事項に話を進めます。

 

道徳心を持つことで真実を見失う

道徳心を持つことで真実を見失ってしまうとも、私は思います。これについては、道徳心をもっと分かりやすく説明すべきでしょう。道徳心とは、あるべき姿に美しさを感じることだと思います。だから、あることに対して、こうあるべきだと思ってしまうのです。まぁ分かりやすい例では、ゴミはゴミ箱に捨てられるべきであるし、最近では公共の場ではマスクをつけるべきであることが挙げられます。
これらについては、基本的なことなのでこうすべきだと思いますが、私は決して道徳心でそうしているわけではありません。ゴミをゴミ箱に捨てるのは、そうしないと誰かに怒られて、その分時間を食うリスクがあるからです。これは、マスクも同じです。特にマスクは、色々なところに行くための許可証みたいなものになっています。そういった価値観の方が、分かりやすいんじゃないでしょうか。それに比べたら、道徳は分かりにくいです。それは、こうあるべきなんて実現しない方が普通だからです。そもそも、実現してないことは現実ではありません。現実的に考えれば、道徳心はあまりいいものではありません。理想主義は悪いことじゃないですが、普段暮らす上ではシンプルな方がマシだと思います。

 

道徳は作らなくてもいい敵を多く作る

なぜなら、道徳がそういうものだからです。道徳というのは、こうあるべきだと考えるわけですから、そうしてない人を見かければ怒りを感じるんじゃないかと思います。具体的な例を挙げるのはしませんが、自分に余計な負担を増やすだけで、良いことはないです。何か実現したいことがあればいいですが、なんか気に食わないとか、そんな理由で相手に自分の道徳を強要しても時間の無駄ではないでしょうか。自分が相手と戦うべき時は、自分の身体や財産が脅かされる時だけでいいのです。むだに道徳心を作って自分の守備範囲を広げるべきではありません。そうしないと、一番最初に書いた彼のようにいろいろと悩んでしまうことになります。


こんな風に道徳心は、良いようで結構普段の生活にはあまり必要ないんじゃないかと思います。理想を持つことも大事ですが、そんなことでは一番最初に書いた彼のように心身がやられます。そんなことになるなら、道徳心なんか捨ててしまった方がマシです。結構言葉的にはヤバイこといっていると思いますが、物事をシンプルに捉えられるからむしろ良いことだと私は思います。

結構、抵抗感はありそうなことですが、やってみたら心が楽になるので是非試してみてください。

 

というわけで、ここまでにしておきます。